透明少女

SCHOOL OF DESIGN(スクール オブ デザイン)

SCHOOL OF DESIGN(スクール オブ デザイン)


デザイナーの講演に二日連続で行ってきてしまいました





ひとつは水野学の講演

Design Channelの収録だったのです

周りの人で好きな人が多く、私自身も興味があったので

軽い気持ちで応募したら、えらい応募数だったみたい

なんか、申し訳なかったような…

本当に行きたいって人に譲ればよかったなぁなんて思ったり

でもあの土砂降りの中でも行った甲斐があった

school of design読んでなかったし

blogもそんな読んでないから

「あぁ、これ知ってる」ってことがなかったからかも

一線で活躍する人の話はおもしろい

そしてわかりやすい

でもそこでなんとなく思った

こういう講演にくる人(もちろん私も)は水野学みたいにはなれない

ミーハー心や憧れ止まり

たぶん一緒に仕事したり

でかい仕事を出来るようなレベルにはなれないと

プロであるなら今ここで人の話を聞いていないで手を動かすべきだし

忙しくて平日の19時に南青山なんかにいれるはずがない

水野学の言っているとおりに実行出来たらきっとデザイナーとして成功するだろう

でもそれは人として、自分の幸せというものを捨てることに近いなと思った

寝る事よりも食べる事よりも何よりもデザインすることが

人のために働くということが幸せと思えたらきっとプロになれる

いつも疑問に思う事がある

例えば不倫して離婚したミュージシャンが感動的なラブソングを作っても

説得力ないのに売れることが多々ある

一人の人を幸せに出来ないくせに愛を語ってると

結局その歌はその人の自慰行為でしかない気がしてくる

人のためにしているのか自分のためにしているのか

ニワトリは卵が先かニワトリが先かみたいな感じ

「自分のために人の役に立つ」のレベルの違いなのか

うまく言えないけどこの矛盾がいつも目の前にある

まぁ少なくともわたしはそこまでストイックにはなれないということ


次の日

高橋正実の講演

これはちょっと失敗だった

内容は本の宣伝なんだけど内容にあまり触れない

進行の人の進め方が下手だった

工場の人と話を交えながらするのはいいけれど

普段話し慣れてないせいかこちらに伝わりづらい

もし職人さんや工場の人のことを理解して欲しいと思うのならば

講演というかたちよりも討論というかたちをとるべき

人の話をちゃんと聞いて自分の話をするということのむつかしさを

改めて大事だなと思ったのでした