人は死によってリセットされるのか

またしょーもないことを考えました

時間のあるひとだけどうぞ


私の考える自殺を減らす方法(偏り)


私の死にたい発言はしょっちゅうで

それがただの「逃げ」だということも重々承知です

そのために死に逝くことをよく考えます

どうして生きているのかと並行して


最近とてもひっかかる考えがあった

『死んだらその人は正義、善、聖人』かのような風潮があること

「死んだ人を悪く言ってはいけない」「故人への冒涜だ」と

昔の人は言った

けれどそれは『生きたくても死んでしまったひと』が

圧倒的に多かったからじゃないかと思う

その風潮が今もあってなんだかおかしい

電車に飛び込んだ人はどれだけの人に迷惑を与えただろう


ビルの上から飛び降りてその下にいた人にぶつかって

飛び降りたほうも、下にいた人も両方死んだら


たとえばとある二人がケンカしたとする

もしどちらにも問題があるのにどちらかが打ち所が悪くて

死んでしまったらその人は善、残された人は悪


それからたいした努力もしないで逃げるように死んだ人

責められない

なんかおかしい

死んだ後のことは分からないけど今を逃げたことに変わりはないのに

そうやってなかったことにして

死んだ人を慈しむなんて虫がいい話だ

だから死にたいっていう人が増えたんじゃないか

今から逃げ出すために

自分を正当化するために

だったら死んだ人に対して散々言ったっていいじゃないか

死んでもろくでもないって思って

今を生きたほうがよっぽどいいことじゃないかと

生きていくことは大変だ つらい

もうみんなそれは分かってる

だったら死ぬことがそれ以下の価値でなければ

みんな死んじゃうよ


生きてることに楽しみを見つけ出せたら

そんなこと考えなくていいのにね

ちょっとした些細なしあわせを